天皇賞秋2014
なぜ、天皇賞秋が『古馬の最高峰のレース』と言われるのか?
それは、歴代の優勝馬の顔ぶれを見れば分かる。
シンボリクリスエス、ゼンノロブロイ、ダイワメジャー、ウオッカ、ブエナビスタ、ジャスタウェイ…etc.
いずれも、超一流の『名馬』として歴史に名を刻んだ馬ばかり。
ダービー馬や、後の種牡馬となる馬など、そうそうたる顔ぶれが名を連ねている。
さらに、ディープスカイ、ダイワスカーレット、ウオッカの3頭がしのぎを削った’08年の天皇賞秋のように、し烈な戦いが繰り広げられるレースでもある。
それだけに、この天皇賞秋は、ある種の『壁』が存在する。
2流馬はもちろん、1.5流馬や成長途上のような”中途半端な馬”では超えることのできない『厚い壁』が立ちはだかっているのである。
確かな地力を備えていなければ勝つことは難しい。
今回は、天皇賞秋の優勝馬にふさわしいであろう、この2頭に注目した。
注目馬 マーティンボロ(19.1倍 13着)
…遅生まれでデビューが3歳の春。
初勝利をあげるまでに6戦を要し、その後も一進一退の足踏み状態が続いていた。
直線でフラフラしたり、舌がハミを超したり。
そのレースぶりは力負けというより、自ら力をセーブしているようにも映った。
性格的にどこか不真面目な部分があるのかも知れない。
ところが、去年の暮れあたりから何かが変わった。
準オープン勝ちを皮切りに、重賞戦線でも2勝、2着1回。
成長して本格化したと言えばそれまでだが、これまでの放漫なレースぶりとは打って変わって、闘志を全面に押し出すようになったのだ。
前走の新潟記念が、まさにそうだった。
直線、バツグンの手応えで進出したマーティンボロ。しかし…。
騎手が追い始め、エンジンのモーターが回転し始めたちょうどその時、思わぬアクシデントが発生する。
外のトーセンジャガーが内にササり、完全に進路を塞いでしまったのだ。
↓進路を塞がれるマーティンボロ
空いていたわずかな席を奪われたマーティンボロ。
しかし、今の同馬はそんなことには動じない。
ひるむことなく、強引に馬群をこじ開けると、驚くべき速度で先頭に躍り出たのである。
そのまま力強く先頭でゴール板を駆け抜ける。
↓抜け出す脚は速かった
………………
たんに体が成長したとか、そんなことでは片付けられない見事な勝ちっぷりであった。
このレースひとつ取っても、いかに精神面で充実しているかが分かる。
さらにこのマーティンボロのように、遅咲きでクラシック路線とは無縁だった馬は消耗が少ない。
だから、一度本格化し、波に乗り出すとそう簡単には止まらない。
”覚醒モード”に突入したこの馬であれば、(歴代の名馬とともに)天皇賞秋の優勝馬に名を連ねるにふさわしい。
注目馬 イスラボニータ(2.8倍 3着)ギリギリまで溜めたが…。
…かつて3歳馬で天皇賞秋を制したのは3頭しかいない。
ハッピーマイト、バブルガムフェロー、シンボリクリスエス。
*ハッピーマイトは11戦11勝の名牝クリフジの兄
確かに、この時期の3歳馬は苦戦傾向にある。
暮れの有馬記念であれば、ギリギリ馬の成長が間に合って、古馬G1級とも互角に渡り合えるのだろうが…。この時期はまだ若干早い。
ただ、イスラボニータの場合は脈アリとみている。
マーティンボロとは逆に、2歳の6月という早い時期にデビューしている。
連勝を重ね、クラシック第一冠の皐月賞を制覇。
その頃からすでにレースぶりは完成の域に近づいていた。
何が言いたいのか? というと、
『3歳だが、すでに古馬並みに成長しきっているので、さほど年齢がネックになることは無い』とみているのである。
中山の皐月賞を制しているが、実際は(東京のように)直線の長いコースの方がいいタイプ。
と言うのも、スナップの利いた伸びのあるフォームなので、本質的に小回りは向かないと思えるからだ。
もちろん、距離も2400より2000の方が良い。
チャンスは十分だろう。
と、この文章を書いたのは枠順が確定する前。
東京の二千で、外枠(15番枠)から先行するとさすがにロスが大きい。
◎も視野に入っていたが、注目馬にとどめた。
鞍上ルメールが機転をきかせて、差しに回り、ロスを最小限に抑えるなら。
どうも小倉の馬券師Tです。
先日の日本シリーズはあっけない幕切れとなりました。
- (9回1アウト満塁から阪神の西岡選手がゴロ。ホーム(アウト)→1塁に送球。
ボールが西岡選手の背中に当たり、打球がそれる。その間に2塁走者がホームに生還。
同点かと思われたが、西岡選手の走塁妨害が認められ、ゲームセット。
ホークスが3年ぶりの日本一に。)
走塁妨害でゲームセット。
ホークスファン、阪神ファンのどちらにとっても、スッキリしない終わり方でした。
それにしても、「走塁妨害でアウト」の判定後、秋山監督、その他の選手が出てくるの速かったです。有無を言わさず歓喜の輪が広がりました。
和田監督が抗議してましたが、あの雰囲気ではさすがに覆らないです。
孫さんも出てきてましたよね。
(選手一人一人に抱擁していたシーンは印象的でした)
野球を観たのは久しぶりです。
やはり野球は面白い! と改めて思いました。
私が野球観戦に一番ハマっていたのは高校時代です。
その頃、私は熱狂的な巨人ファンで、好きな選手は原辰徳でした。
そう、今の巨人の原監督です。
(ピーク時ではなく、引退に近いときにファンになったので、ときどき代打で出るときに応援していました)
よほど好きだったらしく、私は雑誌から彼の写真を切り取って、『生徒手帳』の中に入れていました。
そして、暇なときに生徒手帳を取り出してはニヤニヤしていました。
ある時、友人がその光景をチラッと目撃しました。
そして、こんな噂が広まりました。
「大串(私の本名)に”彼女”ができたらしい。
生徒手帳の中に彼女の写真をしまい込んでいる」
私の高校は男女共学でしたが、彼女はいませんでした。
というか、高校生活の3年間で、女子とまともに会話したのはわずか3回のみ。
3回しか女子と会話していない私に、彼女など出来ようがありません。
友人たち:「どんな彼女なん? 見せてーや」
私:「いや、彼女じゃないから…。」
友人たち:「隠さんでもええやんか。気になるやん。」
私:「だから違うって…。」
生徒手帳の中の写真は、彼女などではなく、『原辰徳』だとはとても言えませんでした。
ところが、私が油断した隙に、友人の一人が、私の生徒手帳を取り上げました。
そして、友人たちの前で中を開いてしまったのです。
パンドラの箱は開かれました。
そこに現れたのは、彼女の写真ではなく、好きな女子の写真でもなく、グラビアアイドルでもなく、原辰徳でした。
しばらくの間、ビミョウな空気が流れました。
その沈黙を振り払うように、友人の一人が言いました。
「大串君、野球好きなんやね…」
「…。」
私は顔を真っ赤にしながら、すぐに生徒手帳を奪い返し、原辰徳を抜き取りました。
恥ずかしさや、みじめさや、いろいろな感情が沸き起こりました。
その事件があって以来、私はあまり野球を観なくなりました。
ただし、友人たちの態度は変わりました。
どういう訳か、私に対してやさしくなったのです。
これまで、いじられキャラだったのに、いじられることが少なくなり、逆に親切にされる始末でした。
「私には夢の続きがあります」
そう言って原辰徳は引退しました。
それから、十数年の月日が経ち、彼は監督として巨人に戻ってきました。
(月日が経つのは本当に早いです)
今年、巨人は日本シリーズには出場できませんでしたが、今では名監督の地位をしっかりと築いています。
先の日本シリーズをみて、ふと学生時代のホロ苦い思い出が蘇った今日この頃でした。
ありがとうございました。